こんにちは。
Yokosuka店エリザベスです。
ケーブルTVで・・・・・
先日、『世界の巨大工場・BMW』という番組が放送されていました。
内容は BMW・Z4の製造~完成までの過程を放送。
番組タイトルが気になったので途中からですが見ると
(実際の工場に行った事もないので
知らないことばかりで勉強になりましたがぁ)
皆さんもご存知の"あの"BMWロゴの由来・・・・
飛行機のプロペラにちなんでいると定説になっているが
まったく違うと言うのです。
BMWの歴史にも書いてあったので信じていたのですが・・・・。
正しくは。
Yokosuka店エリザベスです。
ケーブルTVで・・・・・
先日、『世界の巨大工場・BMW』という番組が放送されていました。
内容は BMW・Z4の製造~完成までの過程を放送。
番組タイトルが気になったので途中からですが見ると
(実際の工場に行った事もないので
知らないことばかりで勉強になりましたがぁ)
皆さんもご存知の"あの"BMWロゴの由来・・・・
飛行機のプロペラにちなんでいると定説になっているが
まったく違うと言うのです。
BMWの歴史にも書いてあったので信じていたのですが・・・・。
正しくは。
バイエルン州の旗に由来するんだそうです。
まさか、TVで知ることになるとは・・・・
まさに、"灯台下暗し"
読み(ひらがな) とうだい もとくらし。
意味
自分の身の回りで起きていることは
意外と分かりにくく、気がつかないものだというたとえ。
解説
灯台は、海岸近くにある灯台ではなく
灯明台(とうみょうだい)のことで、昔、部屋の中を
明るくする為に、用いた、火をともして置く
少し高い台のことで、この台の真下は、暗くて
よく見えないことから生まれたようです。
他人のことは、よく知っているが、自分のことになると
よく分からないという意味もあるようです。
重要語の意味
灯台=「とうだい」と読み、昔、室内を明るく照らすため
少し高い台の上に油の皿を置き、その皿に、芯を入れ
火をともした台。燈台とも書く。 下=「もと」と読み
ある物のすぐ、真下のこと。 暗し=①光が足りなく、
よく見えない状態。 ②あることに関して、よく分かっていない状態。
これもまた、海辺の灯台と思ってました
生活道具に灯明台を使っている方も珍しいですしねぇ
あっはははー。(笑ってごまかす)
灯台といえば"観音埼灯台"
"日本初"の西洋様式灯台
慶応2年(1866)に江戸幕府は、アメリカ・イギリス
フランス・オランダ の4カ国と結んだ江戸条約で
船舶航行の安全のために灯台を建てる約束をしました。
そして幕府は横須賀製鉄所を建設するため来日していた
フランス人技師(首長)フランソワ・レオンス・ヴェルニーに
灯台の建設を依頼しました。ヴェルニーは製鉄所建設課長の
ルイ・フェリックス・フロランにその仕事をさせました。
この依頼は幕府から明治政府に引き継がれ
観音埼灯台は日本最初の洋式灯台として、
明治元年9月17日(新暦1868年11月1日)に起工
同年12月29日(新暦1869年2月10日)に竣工
明治2年1月1日(新暦1869年2月11日)に初めて点灯しました。
この灯台の起工日の11月1日はのちに「灯台記念日」となりました。
灯台の建築に使用されたれんがは、横須賀製鉄所で
作られたもので「ヨコスカ製鉄(銕)所」の刻印が
押されています。大正11年(1922)4月26日の
地震で大きな亀裂ができたので、
大正12年(1923)3月15日に2代目を再建しましたが
同年9月1日の関東大震災で崩れ落ちてしまいました。
その後、大正14年(1925)6月1日に再建され、
現在は3代目になります。
海岸には2代目の灯台の残骸らしき物があります。
また、近隣には日本で一番最初にマダイの養殖に成功した
観音崎自然博物館などもあります。
博物館のとなりは、"たたら浜"
映画『ゴジラ』の第1作は1954年(昭和29年)に放映。
ビキニ環礁での水爆実験で古代の眠りから目覚めたゴジラは
横須賀観音崎のたたら浜沖に姿を現したことで有名。
4年後、コンクリート製の滑り台が、たたら浜に完成した。
(サイズは第1作『ゴジラ』の1/10だそうです)
その後、1973年(昭和48年)老朽化により撤去され
現在の、たたら浜には、ゴジラの足跡が残されています。
(ちなみに、第一作目のゴジラは、身長50メートル)
・・・ゴジラのその後。
" 久里浜 花の国 "に、
<花の国に、壊し屋ゴジラ・・・。もしや、そこは、天国・・・?。>
あの頃より、大きくなって筋肉質
育っとる
1996年頃からゴジラの滑り台の復活を望む「Gプロジェクト」が
横須賀市商工会議所青年部や地元の有志を中心に始動
署名活動や寄付運動を開始した結果、1999年に誕生した。
製作を担当したのはゴジラ映画を世に送り出した東宝である。
身長は9メートル、全長は10メートル、重さ5トン、強化プラスチック製
胴体から腹の部分がしっぽの部分が滑り台となっている。
育つ、歓び
Tomei-Yokohama BMW 横須賀店
皆様のご来店心よりお待ち申し上げております
046-825-0031
Yokosuka店 でした
まさか、TVで知ることになるとは・・・・
まさに、"灯台下暗し"
読み(ひらがな) とうだい もとくらし。
意味
自分の身の回りで起きていることは
意外と分かりにくく、気がつかないものだというたとえ。
解説
灯台は、海岸近くにある灯台ではなく
灯明台(とうみょうだい)のことで、昔、部屋の中を
明るくする為に、用いた、火をともして置く
少し高い台のことで、この台の真下は、暗くて
よく見えないことから生まれたようです。
他人のことは、よく知っているが、自分のことになると
よく分からないという意味もあるようです。
重要語の意味
灯台=「とうだい」と読み、昔、室内を明るく照らすため
少し高い台の上に油の皿を置き、その皿に、芯を入れ
火をともした台。燈台とも書く。 下=「もと」と読み
ある物のすぐ、真下のこと。 暗し=①光が足りなく、
よく見えない状態。 ②あることに関して、よく分かっていない状態。
これもまた、海辺の灯台と思ってました
生活道具に灯明台を使っている方も珍しいですしねぇ
あっはははー。(笑ってごまかす)
灯台といえば"観音埼灯台"
"日本初"の西洋様式灯台
慶応2年(1866)に江戸幕府は、アメリカ・イギリス
フランス・オランダ の4カ国と結んだ江戸条約で
船舶航行の安全のために灯台を建てる約束をしました。
そして幕府は横須賀製鉄所を建設するため来日していた
フランス人技師(首長)フランソワ・レオンス・ヴェルニーに
灯台の建設を依頼しました。ヴェルニーは製鉄所建設課長の
ルイ・フェリックス・フロランにその仕事をさせました。
この依頼は幕府から明治政府に引き継がれ
観音埼灯台は日本最初の洋式灯台として、
明治元年9月17日(新暦1868年11月1日)に起工
同年12月29日(新暦1869年2月10日)に竣工
明治2年1月1日(新暦1869年2月11日)に初めて点灯しました。
この灯台の起工日の11月1日はのちに「灯台記念日」となりました。
灯台の建築に使用されたれんがは、横須賀製鉄所で
作られたもので「ヨコスカ製鉄(銕)所」の刻印が
押されています。大正11年(1922)4月26日の
地震で大きな亀裂ができたので、
大正12年(1923)3月15日に2代目を再建しましたが
同年9月1日の関東大震災で崩れ落ちてしまいました。
その後、大正14年(1925)6月1日に再建され、
現在は3代目になります。
海岸には2代目の灯台の残骸らしき物があります。
また、近隣には日本で一番最初にマダイの養殖に成功した
観音崎自然博物館などもあります。
博物館のとなりは、"たたら浜"
映画『ゴジラ』の第1作は1954年(昭和29年)に放映。
ビキニ環礁での水爆実験で古代の眠りから目覚めたゴジラは
横須賀観音崎のたたら浜沖に姿を現したことで有名。
4年後、コンクリート製の滑り台が、たたら浜に完成した。
(サイズは第1作『ゴジラ』の1/10だそうです)
その後、1973年(昭和48年)老朽化により撤去され
現在の、たたら浜には、ゴジラの足跡が残されています。
(ちなみに、第一作目のゴジラは、身長50メートル)
・・・ゴジラのその後。
" 久里浜 花の国 "に、
<花の国に、壊し屋ゴジラ・・・。もしや、そこは、天国・・・?。>
あの頃より、大きくなって筋肉質
育っとる
1996年頃からゴジラの滑り台の復活を望む「Gプロジェクト」が
横須賀市商工会議所青年部や地元の有志を中心に始動
署名活動や寄付運動を開始した結果、1999年に誕生した。
製作を担当したのはゴジラ映画を世に送り出した東宝である。
身長は9メートル、全長は10メートル、重さ5トン、強化プラスチック製
胴体から腹の部分がしっぽの部分が滑り台となっている。
育つ、歓び
Tomei-Yokohama BMW 横須賀店
皆様のご来店心よりお待ち申し上げております
046-825-0031
Yokosuka店 でした